コロナウイルス感染国からこんにちは

コロナウイルス大流行中にカナダ留学を敢行する脱サラニートの葛藤と経験の物語…になる予定。

日本人がなぜ英語を理解できないのか気づきました

カナダに入国してから日々の留学生活に追われてブログの更新ができていませんでした。

カナダでのコロナウイルス事情や学校の対応などのネタはあるのですがそれについてはまた週末にでも書こうと思います。

今日は日本人にとってなぜ英語が難しいのか僕なりに思うところがあったので備忘録を兼ねて書き残そうと思います。

 

見聞きしている最中の英語の文章を途中で忘れてしまうことありません?

自分は英語のリーディングだったりリスニングだったりで少し長い文章があるとその文章を読み切る前に前半の内容を忘れてしまうことが多々ある。
最近まで英語の意味内容を理解することに脳のリソースを割いてしまっているからそうなるのだと思っていたのだけれど、留学を開始して1日に触れる英語の量が増えてから、どうも原因はそれだけではないらしいと気が付いた。
ではその原因とは何か。おそらく英語と日本語の語順の違いにあると思う。

 

英文を理解するときの脳内プロセス

主語と述語の位置関係が日本語と英語でまるで違うのは多くの日本人の承知のとおりである。
例えば英語の「I talk with you」という文を日本語の順番に並べ替えると「I you with talk」と主語以降の語順がまるっきり反対になる。
これを踏まえて僕が普段の英文理解で忘れて内容を振り返ったときに、圧倒的に述語が多いのだ。英語は述語が先に出てくるのだから当然と言えば当然なのだが。
僕たちが普段日本語を見聞きするとき、「誰が」「いつ/どこで/どのように」「なにをした」という順番で聞く。
この順番でいくと「なにをした」という述語の部分は必ず文の一番最後に出てくるわけだから文章の終わりまで記憶しておく必要がない。
日本語を使う僕たちが覚えなければならないのは「誰が」「いつ/どこで/どのように」といった主語や目的語である。
一方で英語は「なにをした」の述語部分が最初に出てくる。逆に「いつ/どこで/どのように」の部分は後半で出てくるために覚えておく必要がない。
ここに僕が英語の文章を途中で忘れてしまう原因があると思うのだ。僕(というより日本語話者)には会話や読書のなかで述語を記憶するという習慣がないのだ。
逆に目的語の方は記憶する習慣がついてしまっているから英文を追いかける中で目的語の方にばかり意識が行ってしまい、その間に述語がなんだったか忘れて結果文全体の理解ができなくなる。

 

じゃあどうするか

これを克服するにはそもそも英語を日本語と切り離して理解しなければならない。世間一般で英語を英語のまま理解するようにしなさいと言われているとおりである。
イメージに頼った話になるのだが僕の英語の理解の仕方を振り返ると、主語と述語を英文の頭で拾ったら、その間に空間を開けて目的語がテトリスのブロックのように上から落ちてきてピタリとはまるのを待っているようなプロセスを脳内で踏んでいるように思う。
そうではなくて主語と述語を拾ったら一度それを一塊に理解して、その後に落ちてくる目的語は目的語として別で理解しなければならないのだと思う。
先のテトリスの例でいえば僕は一気に消すことを狙いすぎて無茶なブロックの組み方をして結果すべて消せずに積んでしまっているようなイメージだ。
消せるものは消せるときに1列ずつでも消していかないと処理が追い付かないのだ。

これはスピーキングにしても同じで、まず大きな日本語の塊を作ってそれを英語に並び替えているために無駄な手順を踏んでいる。
語学学校でほかの国の学生と勉強しているとスペイン語圏やフランス語圏の学生は発言量や先生の言うことの理解が早いように思う。
それは彼らの母国語の語順が英語と同じなために、リスニングにおいては落ちてきたブロックを即座に消すことができ、スピーキングにおいては浮かんできた単語を並び替えることなく英語に変換するだけで済んでいるからなのだろう。

 

この辺の話をぜひとも日本語と語順が近いといわれる韓国人の学生と共有してみたいものなのだが、残念ながら僕のクラスには韓国人がいない。
というかコロナウイルスのせいで多くの韓国人が帰国してしまっているのだ。
先生やクラスメートが冗談を言った時に僕だけ笑うタイミングがちょっとずれるのが悲しかったりする最近の留学生活だ。