コロナウイルス感染国からこんにちは

コロナウイルス大流行中にカナダ留学を敢行する脱サラニートの葛藤と経験の物語…になる予定。

台湾の空港で大切なことに気づきました。

空港で書き溜めた記事をホームステイ先に着いた翌朝に連投しています。

投稿した順の時系列になるので読みにくかったらごめんなさい。

 

留学延期の相談

僕が留学を延期しようかどうするか悩んでいた時、なにも独りで延々と悶々としていたわけではない。
家族はもちろん、学生時代から付き合いのある友人や前の会社の友人、英語を勉強しているうちに知り合った人たちにそれとなく留学出発日を延ばそうかなとこぼしたことがあった。
たいていの人たちがそれに対して「延ばしてどうするの?」と質問を返した。
それを受けて僕は「延ばしてどうするの=延ばすなよ」と解釈して「無責任なもんだよな」と一人憤りを感じることもあったのだけれど、今にして思えば無責任も当然である。
僕はとっくの昔に成人していてすでに自立した大人なわけだから自分で決めろという話だ。

多分、「延ばしてどうするの?」という質問も純粋な疑問であって、ネガティブ思考に取りつかれた僕が勝手に「延ばすなよ」という意見に変換していただけなのだ。

 

これまで僕は自分の人生について大概自分で好きに決めてきた。
就職先にしたって誰にも相談なく決めたし会社を辞めるのも誰にも相談なく決めた。
進学する大学やその学部もそうだったように思う。
僕の周りの人たちはそんな僕の性格をよく知っていて、だからこそ意見をするわけではなく疑問を投げかけてくれたのだろう。

 

僕がそのことに気が付いたのは行きの電車の中でのことだった。
退職後に英会話アプリで知り合って以来、僕の片言で簡単な英語に付き合いながら一緒にゲームをしてくれたアメリカ人の友達から出発当日に連絡があったのだ。
Canada!
国名だけのそのメッセージに「世間的にはいくべきじゃないタイミングなのにね」といった趣旨の英文を返したところ、彼から「何をしようと君の人生は1回しかないんだぜ」と返信が来た。
ああ、応援してくれているんだ。とうれしく思うと同時に、出発前に話した友人や家族との会話を思い出した。

みんな必ず応援したり心配したりしてくれていた。
そんな人たちを僕は「無責任だ」と非難していたのだ。
「自分でなんでも決めてきた」という自負がいつしか「誰の手も借りずに生きてきた」などという自惚れに変換され、挙句の果てには「誰も自分を助けてくれない、思いやってくれない」という被害妄想を生み出していた。

実際には僕には応援してくれる人や心配してくれる人がいる。
いつしか僕は身勝手に子供っぽくそれ以上のものを要求していたのかもしれない。
僕はすでに大人になっていて自分のことは自分で決めることができる。
そしてそれを応援してくれる人がいる。
見知らぬ国に不安を抱えながら向かう僕にこれ以上に心強いものがあるだろうか。

このことをこの記事を書きながら実感して異国の空港のスターバックスで一人泣きそうになっているアジア人が僕です。