コロナウイルス感染国からこんにちは

コロナウイルス大流行中にカナダ留学を敢行する脱サラニートの葛藤と経験の物語…になる予定。

留学開始早々にカナダが国境を封鎖しました。

悪化するコロナウイルス被害。語学学校休校。

カナダ渡航から3日目。
状況は刻々と悪化している。
ひとまず僕がカナダに渡航してから今日までの3日に満たない間に起ったことをまとめようと思う。
まず、僕が渡航した日にカナダから全国の語学学校に休校の要請が出たらしく、僕が通う予定だった語学学校も例に漏れず休校となった。
現地時間での日曜日に行われる予定のオリエンテーションは中止、さらに週明けからの学校も休校だ。
学校側でも様々な対応に追われていると見え、今後の予定についての連絡もかなり遅い印象を受ける。
オリエンテーションの中止のメールが来たのが前日である3/14(土)の午後7時半過ぎ。
オリエンテーションで行われるはずだったクラス分けテストはオンラインで実施するとそのメール内で示されていたのだが、
そのテストについてのメールが送られてきたのは翌日の午後1時50分だった。
その後、午後2時頃に休校の発表がありその間の授業はオンラインで実施される旨が通知された。
休校の期間は現状3/16~3/30まで(期間が明けて学校が再開できるのか半信半疑だが)。
発表内容がメールで僕に送られてきたのは午後4時半だった。

ちなみにこの間の僕の心境はというともうヤキモキしっぱなしだ。
オンラインテストが送られてくるまですることが全くないのでブログに記事を投稿したり、日本でしていた英語の勉強をしたりして時間を過ごしたのだが、途中何度スマホでメールチェックを挟んだか知れない。
ホームステイの滞在先はトロント市内から少し離れた住宅地にあるため、市内に出ようにも公共交通機関を使わなければならない。
この時期に公共交通機関を使っての外出はとても褒められた行為とは思えないので、気晴らしに街に出かけることもできない。
せいぜい歩いていけるドラッグストアに日用品を買いに行くくらいだ。

さらに休日である日曜日が明けての今日、実施されるはずだったオンライン講座についての連絡も来ない。
それどころか朝の時点でオンラインテストの結果に基づくクラス分けについての連絡もなかった。
同じホストファミリーの家に以前から滞在している他の留学生に聞くと彼女もオンライン講座についての連絡を受けていないようだった。
不機嫌そうに「一日が無駄になった」と息を吐く彼女の言っている愚痴の実は半分も僕は理解できていない。
早く学校に通って勉強して一緒に愚痴を言えるようになりたいのに!!

焦る僕に応えるかのように語学学校の日本人エージェントから連絡があったのが今日の午後3時半頃だ。
内容は「テスト受けてくださいね!」。・・・受けたよ!!
進展なしかよ!と内心がっかりしながらも「受けたらこのメールに返信してください」とあったので受けたときに自動送信されてきた結果のメールを抜粋して返信した。
そうしてクラスについての連絡が来たのが先ほど約1時間前の午後7時半頃だった。
とはいえオンラインクラスについては未だ何の連絡もないため明日もまた宙ぶらりんで過ごすことになりそうだ。

 

国境の封鎖。膨らむカナダ国内の警戒感。

一方でカナダ社会全体の状況はさらに悪化している。
なにせ今日、トルドー首相が会見を開いて『国境封鎖』を宣言した。
これによりカナダの国民、永住権所有者と隣国のアメリカ人以外はカナダへの入国が叶わなくなった。
僕が入国して2日後にこの発表である。
正直こんなことになるならあと1週間早く発表してくれという気持ちでいっぱいである。
カナダのコロナウイルスへの警戒感は先週トルドー首相の夫人がコロナウイルスに感染したことが発覚してから一気に増している印象だ。
語学学校だけでなく飲食店や娯楽施設にも自粛を呼びかけ、経済活動よりも感染拡大の防止に注力している。
おそらく3月下旬で感染を抑え込みたい意図があるのだろうと思う。
それだけに4月に入って結果が出なかった場合にどういった対応をとるのか不安だ。
子供向け番組で手洗いの歌を流したり、連日のニュースでコロナウイルス特集を組んだりと国民の意識を高める動きを見せてはいるが道を歩くカナダ人がマスクをしているのをほとんど見かけない。
スターバックスはドライブスルーを除いて開店休業状態ではあったけれど、カナダ国民の意識として充分に警戒しているかは疑問に思う。
アジア人である僕がマスクを着けて外出してもなんともなかったのはありがたかったけれど・・・。
4月になってトロントを自由に歩き、学校で勉強ができるようになるのを祈るばかりだ。

 

入国初日、空港での事件


ここから、少しばかりカナダに到着してからのことについても書いておこうと思う。
実は空港到着直後、ちょっとした事件があった。
台北空港を出発して14時間弱、トロント国際空港に着いたときインフォメーションセンターにいるはずの語学学校の出迎えがいなかったのには肝を冷やした。
税関を抜けるとすぐにインフォメーションセンターがあり、ほかの語学学校の出迎えが目印をもって立っていたので安心して周囲を見渡したのだが、肝心の僕が通う語学学校の目印が一向に見当たらない。
僕にはわからない目印を持っているのか? と今にしてみればあり得ない疑問に従って、向こうから気づいてもらえることを期待して明らかに困ってますよという顔でしばしウロウロしてみるもまったくやってこない。
・・・仕方ない。これだけは使いたくなかったが。
10分程度うろついても全くそれらしき人が見つからなかった僕は腹をくくって手荷物からあるものを取り出した。
A4サイズの印刷用紙に印刷されているのは「私は○○(語学学校の名前)のお迎えを待ってここにいます」と書かれた英語。
なんというかこう、「拾ってください」の札を自ら掲げた捨て猫みたいな感じで恥ずかしいのだ、これを掲げるのは。
片手に紙を持ち上げて、もう片方の手でスマホをいじって精いっぱい「平気ですよ」な感じを演出してひたすらに待っていると、なぜかキャリーバッグを引っ張るアジア人の女の子に「Excuse me」と話しかけられた。
もしかして僕と同じ学校に入学する子かな? と思い「日本人ですか?」と日本語で話しかけると相手も安心したような顔で「あ、日本人ですか?」と聞き返してきた。
うおお。仲間が増えたことにちょっとだけ安心して「○○(語学学校名)ですか?」と尋ねると「はい」と頷いてくれる。
もしかしたら忘れられているのかも、と心配になっていた僕は『送迎対象が2人もいるのなら忘れられているわけではなさそうだ』と胸を撫で下ろした。
ただその女の子、『仲間』以上の何かを要求するような目を僕に向けてくる。まさかと思い「僕も今日ついた生徒なんですよ」と言ってみるとあからさまに「そうなんですか」と驚いた顔をした。
・・・どうやら僕を語学学校の送迎担当と間違えていたらしい。
聞けば彼女は英語が全然わからず僕の持っていたA4用紙にある学校名だけを頼りに僕に話しかけてきたとのことだった。
途方に暮れる彼女の様子は見るに堪えず、僕自身も途方に暮れてしまったため、ひとまずエージェントに教えてもらった語学学校の送迎連絡先に電話を入れることにした。
彼女に対して『英語が全然わからず』と言っておきながら僕自身の英語力もせいぜい高校卒業レベルである。
緊張しながらカタコトの英語で自分の名前と出迎えが見当たらないことを告げると「学生番号を教えてください」ときた。
学生番号!?
そういえば入学許可証にそれっぽい番号があった気がする。しかしながらその紙はスーツケースの奥深くに仕舞っていた。
英語を話し、理解することで容量いっぱいだった僕の脳は一瞬でパニックになってしまった。
「a,ahhh...I'll call you again after check it」焦りながら告げると「待て待て、それじゃあ名前を教えて」と慌てて引き留められる。
そりゃあそうだ。名前さえあれば探してもらえるだろうよ。
恥ずかしく思いながら自分の名前と、一緒にいる女の子の名前を告げると、ドライバーに連絡するからそこで待っているようにと告げられて通話が終了した。
「ドライバーに連絡してくれるそうですよ」と告げると女の子も安心したように表情を緩めた。
聞けば彼女、英語は全然わからないもののワーキングホリデーで1年間のカナダ生活をこれから送るらしい。
依頼したエージェントがいい加減なところだったようで送迎がなかった場合の対処法や学校の入学証、海外旅行保険についても特に説明されていないという。
「保険はまずくないですか? コロナウイルス大流行のこの時期に入ってないの」
というとクレジットカードの保険が3か月効くからそれでなんとかなると思う、と。
自分が海外旅行専用保険に払った多額のお金を思いながら大丈夫なのかなあと思っていると、彼女は「こんなんで大丈夫ですかね・・・」と悲しそうな顔をし始めた。
「空港まで友達に見送りに来てもらって、日本から乗り継ぎ経由の台湾までずっと私泣いてたんです」
僕が乗ってきたのとまったく同じ便で彼女もトロントまで来ていたらしい。僕がそんなことを思っていると彼女の目から涙がポロリポロリとこぼれ始めた。
「で、でもすごいよ。その年で一人でワーキングホリデーなんて。俺が学生の頃は海外なんて考えもしなかった」
突然の涙に慌てて励ましの言葉をかける僕。女の子の涙はセカンド童貞の手には余る重荷なのだ。
前述の語学学校の日本人担当から日本語メールが来たとき、進展の遅さに苛立ちながらも一方で彼女のことが頭によぎり実は安心もしていた。
英語で送られてきたオンラインテストを促すメールに彼女が対応できていなかったらどうしようかと心配していたのだ。
きっと翻訳なりなんなり使ってなんとかできるのだろうとは思っていたが、母国語で送られてくるメールはやはり安心感が違う。
その後、ドライバーが「違うところで待ってたんだ」と謝りながら迎えに来てくれて、なんとか二人とも別々の滞在先に向かうことができた。
ドライバーと呼ばれていた彼はどうやら実はただの案内人らしく、ホストファミリーの家まではターバンを巻いたタクシー運転手に送ってもらった。
彼は夜遅くに明かりの消えたホストファミリーの家の呼び鈴を押す僕が家に迎え入れてもらうまで車の外で様子を見ていてくれた。

ワーキングホリデーに乗り込む行動力を持ちながらも、心細さに泣いてしまう彼女との再会を楽しみに、ひとまずは4月まで自宅での学習に励もうと思う。
まだオンライン授業についての連絡は来ていないのだけれども。
しかしこんなにがっつり日本語をつかってブログの更新をしていて大丈夫なのだろうか。
日本語を忘れるレベルで英語を勉強しなければならないような気がしなくもない今日この頃だ。