コロナウイルス感染国からこんにちは

コロナウイルス大流行中にカナダ留学を敢行する脱サラニートの葛藤と経験の物語…になる予定。

日本人がなぜ英語を理解できないのか気づきました

カナダに入国してから日々の留学生活に追われてブログの更新ができていませんでした。

カナダでのコロナウイルス事情や学校の対応などのネタはあるのですがそれについてはまた週末にでも書こうと思います。

今日は日本人にとってなぜ英語が難しいのか僕なりに思うところがあったので備忘録を兼ねて書き残そうと思います。

 

見聞きしている最中の英語の文章を途中で忘れてしまうことありません?

自分は英語のリーディングだったりリスニングだったりで少し長い文章があるとその文章を読み切る前に前半の内容を忘れてしまうことが多々ある。
最近まで英語の意味内容を理解することに脳のリソースを割いてしまっているからそうなるのだと思っていたのだけれど、留学を開始して1日に触れる英語の量が増えてから、どうも原因はそれだけではないらしいと気が付いた。
ではその原因とは何か。おそらく英語と日本語の語順の違いにあると思う。

 

英文を理解するときの脳内プロセス

主語と述語の位置関係が日本語と英語でまるで違うのは多くの日本人の承知のとおりである。
例えば英語の「I talk with you」という文を日本語の順番に並べ替えると「I you with talk」と主語以降の語順がまるっきり反対になる。
これを踏まえて僕が普段の英文理解で忘れて内容を振り返ったときに、圧倒的に述語が多いのだ。英語は述語が先に出てくるのだから当然と言えば当然なのだが。
僕たちが普段日本語を見聞きするとき、「誰が」「いつ/どこで/どのように」「なにをした」という順番で聞く。
この順番でいくと「なにをした」という述語の部分は必ず文の一番最後に出てくるわけだから文章の終わりまで記憶しておく必要がない。
日本語を使う僕たちが覚えなければならないのは「誰が」「いつ/どこで/どのように」といった主語や目的語である。
一方で英語は「なにをした」の述語部分が最初に出てくる。逆に「いつ/どこで/どのように」の部分は後半で出てくるために覚えておく必要がない。
ここに僕が英語の文章を途中で忘れてしまう原因があると思うのだ。僕(というより日本語話者)には会話や読書のなかで述語を記憶するという習慣がないのだ。
逆に目的語の方は記憶する習慣がついてしまっているから英文を追いかける中で目的語の方にばかり意識が行ってしまい、その間に述語がなんだったか忘れて結果文全体の理解ができなくなる。

 

じゃあどうするか

これを克服するにはそもそも英語を日本語と切り離して理解しなければならない。世間一般で英語を英語のまま理解するようにしなさいと言われているとおりである。
イメージに頼った話になるのだが僕の英語の理解の仕方を振り返ると、主語と述語を英文の頭で拾ったら、その間に空間を開けて目的語がテトリスのブロックのように上から落ちてきてピタリとはまるのを待っているようなプロセスを脳内で踏んでいるように思う。
そうではなくて主語と述語を拾ったら一度それを一塊に理解して、その後に落ちてくる目的語は目的語として別で理解しなければならないのだと思う。
先のテトリスの例でいえば僕は一気に消すことを狙いすぎて無茶なブロックの組み方をして結果すべて消せずに積んでしまっているようなイメージだ。
消せるものは消せるときに1列ずつでも消していかないと処理が追い付かないのだ。

これはスピーキングにしても同じで、まず大きな日本語の塊を作ってそれを英語に並び替えているために無駄な手順を踏んでいる。
語学学校でほかの国の学生と勉強しているとスペイン語圏やフランス語圏の学生は発言量や先生の言うことの理解が早いように思う。
それは彼らの母国語の語順が英語と同じなために、リスニングにおいては落ちてきたブロックを即座に消すことができ、スピーキングにおいては浮かんできた単語を並び替えることなく英語に変換するだけで済んでいるからなのだろう。

 

この辺の話をぜひとも日本語と語順が近いといわれる韓国人の学生と共有してみたいものなのだが、残念ながら僕のクラスには韓国人がいない。
というかコロナウイルスのせいで多くの韓国人が帰国してしまっているのだ。
先生やクラスメートが冗談を言った時に僕だけ笑うタイミングがちょっとずれるのが悲しかったりする最近の留学生活だ。

留学開始早々にカナダが国境を封鎖しました。

悪化するコロナウイルス被害。語学学校休校。

カナダ渡航から3日目。
状況は刻々と悪化している。
ひとまず僕がカナダに渡航してから今日までの3日に満たない間に起ったことをまとめようと思う。
まず、僕が渡航した日にカナダから全国の語学学校に休校の要請が出たらしく、僕が通う予定だった語学学校も例に漏れず休校となった。
現地時間での日曜日に行われる予定のオリエンテーションは中止、さらに週明けからの学校も休校だ。
学校側でも様々な対応に追われていると見え、今後の予定についての連絡もかなり遅い印象を受ける。
オリエンテーションの中止のメールが来たのが前日である3/14(土)の午後7時半過ぎ。
オリエンテーションで行われるはずだったクラス分けテストはオンラインで実施するとそのメール内で示されていたのだが、
そのテストについてのメールが送られてきたのは翌日の午後1時50分だった。
その後、午後2時頃に休校の発表がありその間の授業はオンラインで実施される旨が通知された。
休校の期間は現状3/16~3/30まで(期間が明けて学校が再開できるのか半信半疑だが)。
発表内容がメールで僕に送られてきたのは午後4時半だった。

ちなみにこの間の僕の心境はというともうヤキモキしっぱなしだ。
オンラインテストが送られてくるまですることが全くないのでブログに記事を投稿したり、日本でしていた英語の勉強をしたりして時間を過ごしたのだが、途中何度スマホでメールチェックを挟んだか知れない。
ホームステイの滞在先はトロント市内から少し離れた住宅地にあるため、市内に出ようにも公共交通機関を使わなければならない。
この時期に公共交通機関を使っての外出はとても褒められた行為とは思えないので、気晴らしに街に出かけることもできない。
せいぜい歩いていけるドラッグストアに日用品を買いに行くくらいだ。

さらに休日である日曜日が明けての今日、実施されるはずだったオンライン講座についての連絡も来ない。
それどころか朝の時点でオンラインテストの結果に基づくクラス分けについての連絡もなかった。
同じホストファミリーの家に以前から滞在している他の留学生に聞くと彼女もオンライン講座についての連絡を受けていないようだった。
不機嫌そうに「一日が無駄になった」と息を吐く彼女の言っている愚痴の実は半分も僕は理解できていない。
早く学校に通って勉強して一緒に愚痴を言えるようになりたいのに!!

焦る僕に応えるかのように語学学校の日本人エージェントから連絡があったのが今日の午後3時半頃だ。
内容は「テスト受けてくださいね!」。・・・受けたよ!!
進展なしかよ!と内心がっかりしながらも「受けたらこのメールに返信してください」とあったので受けたときに自動送信されてきた結果のメールを抜粋して返信した。
そうしてクラスについての連絡が来たのが先ほど約1時間前の午後7時半頃だった。
とはいえオンラインクラスについては未だ何の連絡もないため明日もまた宙ぶらりんで過ごすことになりそうだ。

 

国境の封鎖。膨らむカナダ国内の警戒感。

一方でカナダ社会全体の状況はさらに悪化している。
なにせ今日、トルドー首相が会見を開いて『国境封鎖』を宣言した。
これによりカナダの国民、永住権所有者と隣国のアメリカ人以外はカナダへの入国が叶わなくなった。
僕が入国して2日後にこの発表である。
正直こんなことになるならあと1週間早く発表してくれという気持ちでいっぱいである。
カナダのコロナウイルスへの警戒感は先週トルドー首相の夫人がコロナウイルスに感染したことが発覚してから一気に増している印象だ。
語学学校だけでなく飲食店や娯楽施設にも自粛を呼びかけ、経済活動よりも感染拡大の防止に注力している。
おそらく3月下旬で感染を抑え込みたい意図があるのだろうと思う。
それだけに4月に入って結果が出なかった場合にどういった対応をとるのか不安だ。
子供向け番組で手洗いの歌を流したり、連日のニュースでコロナウイルス特集を組んだりと国民の意識を高める動きを見せてはいるが道を歩くカナダ人がマスクをしているのをほとんど見かけない。
スターバックスはドライブスルーを除いて開店休業状態ではあったけれど、カナダ国民の意識として充分に警戒しているかは疑問に思う。
アジア人である僕がマスクを着けて外出してもなんともなかったのはありがたかったけれど・・・。
4月になってトロントを自由に歩き、学校で勉強ができるようになるのを祈るばかりだ。

 

入国初日、空港での事件


ここから、少しばかりカナダに到着してからのことについても書いておこうと思う。
実は空港到着直後、ちょっとした事件があった。
台北空港を出発して14時間弱、トロント国際空港に着いたときインフォメーションセンターにいるはずの語学学校の出迎えがいなかったのには肝を冷やした。
税関を抜けるとすぐにインフォメーションセンターがあり、ほかの語学学校の出迎えが目印をもって立っていたので安心して周囲を見渡したのだが、肝心の僕が通う語学学校の目印が一向に見当たらない。
僕にはわからない目印を持っているのか? と今にしてみればあり得ない疑問に従って、向こうから気づいてもらえることを期待して明らかに困ってますよという顔でしばしウロウロしてみるもまったくやってこない。
・・・仕方ない。これだけは使いたくなかったが。
10分程度うろついても全くそれらしき人が見つからなかった僕は腹をくくって手荷物からあるものを取り出した。
A4サイズの印刷用紙に印刷されているのは「私は○○(語学学校の名前)のお迎えを待ってここにいます」と書かれた英語。
なんというかこう、「拾ってください」の札を自ら掲げた捨て猫みたいな感じで恥ずかしいのだ、これを掲げるのは。
片手に紙を持ち上げて、もう片方の手でスマホをいじって精いっぱい「平気ですよ」な感じを演出してひたすらに待っていると、なぜかキャリーバッグを引っ張るアジア人の女の子に「Excuse me」と話しかけられた。
もしかして僕と同じ学校に入学する子かな? と思い「日本人ですか?」と日本語で話しかけると相手も安心したような顔で「あ、日本人ですか?」と聞き返してきた。
うおお。仲間が増えたことにちょっとだけ安心して「○○(語学学校名)ですか?」と尋ねると「はい」と頷いてくれる。
もしかしたら忘れられているのかも、と心配になっていた僕は『送迎対象が2人もいるのなら忘れられているわけではなさそうだ』と胸を撫で下ろした。
ただその女の子、『仲間』以上の何かを要求するような目を僕に向けてくる。まさかと思い「僕も今日ついた生徒なんですよ」と言ってみるとあからさまに「そうなんですか」と驚いた顔をした。
・・・どうやら僕を語学学校の送迎担当と間違えていたらしい。
聞けば彼女は英語が全然わからず僕の持っていたA4用紙にある学校名だけを頼りに僕に話しかけてきたとのことだった。
途方に暮れる彼女の様子は見るに堪えず、僕自身も途方に暮れてしまったため、ひとまずエージェントに教えてもらった語学学校の送迎連絡先に電話を入れることにした。
彼女に対して『英語が全然わからず』と言っておきながら僕自身の英語力もせいぜい高校卒業レベルである。
緊張しながらカタコトの英語で自分の名前と出迎えが見当たらないことを告げると「学生番号を教えてください」ときた。
学生番号!?
そういえば入学許可証にそれっぽい番号があった気がする。しかしながらその紙はスーツケースの奥深くに仕舞っていた。
英語を話し、理解することで容量いっぱいだった僕の脳は一瞬でパニックになってしまった。
「a,ahhh...I'll call you again after check it」焦りながら告げると「待て待て、それじゃあ名前を教えて」と慌てて引き留められる。
そりゃあそうだ。名前さえあれば探してもらえるだろうよ。
恥ずかしく思いながら自分の名前と、一緒にいる女の子の名前を告げると、ドライバーに連絡するからそこで待っているようにと告げられて通話が終了した。
「ドライバーに連絡してくれるそうですよ」と告げると女の子も安心したように表情を緩めた。
聞けば彼女、英語は全然わからないもののワーキングホリデーで1年間のカナダ生活をこれから送るらしい。
依頼したエージェントがいい加減なところだったようで送迎がなかった場合の対処法や学校の入学証、海外旅行保険についても特に説明されていないという。
「保険はまずくないですか? コロナウイルス大流行のこの時期に入ってないの」
というとクレジットカードの保険が3か月効くからそれでなんとかなると思う、と。
自分が海外旅行専用保険に払った多額のお金を思いながら大丈夫なのかなあと思っていると、彼女は「こんなんで大丈夫ですかね・・・」と悲しそうな顔をし始めた。
「空港まで友達に見送りに来てもらって、日本から乗り継ぎ経由の台湾までずっと私泣いてたんです」
僕が乗ってきたのとまったく同じ便で彼女もトロントまで来ていたらしい。僕がそんなことを思っていると彼女の目から涙がポロリポロリとこぼれ始めた。
「で、でもすごいよ。その年で一人でワーキングホリデーなんて。俺が学生の頃は海外なんて考えもしなかった」
突然の涙に慌てて励ましの言葉をかける僕。女の子の涙はセカンド童貞の手には余る重荷なのだ。
前述の語学学校の日本人担当から日本語メールが来たとき、進展の遅さに苛立ちながらも一方で彼女のことが頭によぎり実は安心もしていた。
英語で送られてきたオンラインテストを促すメールに彼女が対応できていなかったらどうしようかと心配していたのだ。
きっと翻訳なりなんなり使ってなんとかできるのだろうとは思っていたが、母国語で送られてくるメールはやはり安心感が違う。
その後、ドライバーが「違うところで待ってたんだ」と謝りながら迎えに来てくれて、なんとか二人とも別々の滞在先に向かうことができた。
ドライバーと呼ばれていた彼はどうやら実はただの案内人らしく、ホストファミリーの家まではターバンを巻いたタクシー運転手に送ってもらった。
彼は夜遅くに明かりの消えたホストファミリーの家の呼び鈴を押す僕が家に迎え入れてもらうまで車の外で様子を見ていてくれた。

ワーキングホリデーに乗り込む行動力を持ちながらも、心細さに泣いてしまう彼女との再会を楽しみに、ひとまずは4月まで自宅での学習に励もうと思う。
まだオンライン授業についての連絡は来ていないのだけれども。
しかしこんなにがっつり日本語をつかってブログの更新をしていて大丈夫なのだろうか。
日本語を忘れるレベルで英語を勉強しなければならないような気がしなくもない今日この頃だ。

台湾の空港で大切なことに気づきました。

空港で書き溜めた記事をホームステイ先に着いた翌朝に連投しています。

投稿した順の時系列になるので読みにくかったらごめんなさい。

 

留学延期の相談

僕が留学を延期しようかどうするか悩んでいた時、なにも独りで延々と悶々としていたわけではない。
家族はもちろん、学生時代から付き合いのある友人や前の会社の友人、英語を勉強しているうちに知り合った人たちにそれとなく留学出発日を延ばそうかなとこぼしたことがあった。
たいていの人たちがそれに対して「延ばしてどうするの?」と質問を返した。
それを受けて僕は「延ばしてどうするの=延ばすなよ」と解釈して「無責任なもんだよな」と一人憤りを感じることもあったのだけれど、今にして思えば無責任も当然である。
僕はとっくの昔に成人していてすでに自立した大人なわけだから自分で決めろという話だ。

多分、「延ばしてどうするの?」という質問も純粋な疑問であって、ネガティブ思考に取りつかれた僕が勝手に「延ばすなよ」という意見に変換していただけなのだ。

 

これまで僕は自分の人生について大概自分で好きに決めてきた。
就職先にしたって誰にも相談なく決めたし会社を辞めるのも誰にも相談なく決めた。
進学する大学やその学部もそうだったように思う。
僕の周りの人たちはそんな僕の性格をよく知っていて、だからこそ意見をするわけではなく疑問を投げかけてくれたのだろう。

 

僕がそのことに気が付いたのは行きの電車の中でのことだった。
退職後に英会話アプリで知り合って以来、僕の片言で簡単な英語に付き合いながら一緒にゲームをしてくれたアメリカ人の友達から出発当日に連絡があったのだ。
Canada!
国名だけのそのメッセージに「世間的にはいくべきじゃないタイミングなのにね」といった趣旨の英文を返したところ、彼から「何をしようと君の人生は1回しかないんだぜ」と返信が来た。
ああ、応援してくれているんだ。とうれしく思うと同時に、出発前に話した友人や家族との会話を思い出した。

みんな必ず応援したり心配したりしてくれていた。
そんな人たちを僕は「無責任だ」と非難していたのだ。
「自分でなんでも決めてきた」という自負がいつしか「誰の手も借りずに生きてきた」などという自惚れに変換され、挙句の果てには「誰も自分を助けてくれない、思いやってくれない」という被害妄想を生み出していた。

実際には僕には応援してくれる人や心配してくれる人がいる。
いつしか僕は身勝手に子供っぽくそれ以上のものを要求していたのかもしれない。
僕はすでに大人になっていて自分のことは自分で決めることができる。
そしてそれを応援してくれる人がいる。
見知らぬ国に不安を抱えながら向かう僕にこれ以上に心強いものがあるだろうか。

このことをこの記事を書きながら実感して異国の空港のスターバックスで一人泣きそうになっているアジア人が僕です。

ブログを書こうと思い立ちました。

ブログを書こうと思った理由

ブログを書こうと思い立ったのは予定通り留学に行くことを決定してからだった。
日々募る不安のなか、カナダでどんなことが起こっても「ネタになる!」とポジティブな要素に変換できるのではないだろうかと考えてのことだった。
ただ僕には「嫌なことをすぐに先延ばしにする」という短所がある。
新型コロナウイルスの広がる中で「カナダへの留学」について考えることはコロナウイルスの蔓延前から一転して嫌なことへと僕の中で変わってしまった。
当然それに付随する「カナダ留学についてのブログの作成」も嫌なことに含まれており、前回の記事と今回の記事はなんと台北空港のスターバックスで、乗り換えの待ち時間を利用して書いている。
先延ばしにしながらもこんな状況の中で結局ブログを書いている。

なんだかんだで「一度決めたこと、引き受けたことはどんな形であれきちんと実行する」というのは僕の長所だなあと思う。

 

やっぱり行くことに決めてからの日々

今回は予定通りの留学決行を決めてからの僕の日々について書こうと思う。
とにかく毎日スマホでニュースをチェックする回数が増えた。
1時間に1回はニュースアプリを開き、「新型ウイルス」関連と「国際」関連の記事を読み漁った。
いつ渡航できなくなるのかわからない情勢の中でこれは必要なことではあったのだが、やはり読めば読むほどに不安は増幅していった。

 

アジア人差別への不安

特に僕を悩ませたのが海外でのアジア人差別の記事だ。
ロンドンでシンガポールからの留学生が暴行を受けたニュースは衝撃だった。
なんせ、他人ごとではない。明日の当事者は僕かもしれないわけだ。
僕は基本的に人からの批判に弱い人間だ。
誰かから批判されるとまず、自分の正当性より相手の言い分の正当性を考える。
自分から見た自分よりも相手から見た自分に重きを置いてしまう。
これは同時に相手の立場に立って物事を考えることにも繋がる性格を意味するから、時にはいい方向に働くこともあるのだけれど、自分の意見を通さなければならない場面だったり相手の意図に自分を攻撃することが含まれていたりすると最悪だ。
特に、相手の言い分に正当性が認められたときなんかには、僕はぐうの音も出せなくなる。
この性格を踏まえたうえでコロナウイルスを原因とする差別問題に立ち返ってみると、これが非常に相性が悪い。
「俺の国に新型コロナウイルスを持ち込むな!」
と言われたとき、例えば僕が何年も前からその国に住んでいて、ウイルス感染国への渡航歴がなかった場合には相手の言い分になんらの正当性もないわけだから僕にはノーダメージだ。
ところが実際には僕は新型コロナウイルスの感染国(3/14時点で感染者数700人程度)からまだ感染の広まってない国(同150人程度)に渡るわけで、相手の言い分は至極真っ当だ。
この記事を書いている今ではアメリカでの感染者数は日本のそれを超え、カナダでも感染者数が増え続けているからまだマシだ。
けれど僕が悶々としていた時期にはアメリカでの感染者数は少なくカナダでも数十人程度だった。
豆腐メンタルな僕が何度前言を翻して留学を延期しようとしたかしれない。
そこにきて何人かの友人に「『Hey! Mr.Corona?』って呼ばれるかもよ?」などとからかわれたあの日、よく笑い返すことができたものだと自分を褒めてやりたい。
実は今でも定期的にtwitterで「カナダ 留学 コロナ」で検索していたりする。
幸いにして人種国家のカナダではそこまで過激な差別は行われていないように見える。

 

 黒子、テロリストになる

次に僕が悩まされたのがホストファミリーや学校のクラスメートへの感染だ。
のこのこと日本からコロナウイルスを手土産に渡っていって、僕発信でトロントに市中感染をもたらしたなんてことになったら僕はまさにテロリストだ。
このことをアメリカ人のゲーム仲間に話したら爆笑していたが、あのとき僕は結構真剣だった。
幸いにして決定したホストファミリーの方の家庭には新型コロナウイルスで深刻な被害を受けるであろう高齢者の方はいらっしゃらなかったので僕の心労は少しばかり軽減された。
いち留学生に家族を殺されたとなればパンフレットで善意にあふれた笑顔を浮かべるホストファミリーのみなさんとて黙っていまい。
ナイアガラの滝に放り込まれたって文句は言えない。

 

前述の2つの悩みに付随して発生した次の悩みがカナダに行ってからの生活の仕方だった。
ホストファミリーやクラスメートにコロナウイルスを感染させたくないのであればマスクの着用は必須だ。
実際、マスクはウイルス保持者が着用して唾液や鼻水をところかまわずまき散らさないようにすることでこそ感染防止の働きを果たす。
しかしながらマスクの着用が日常的なものではない北米や欧州では「アジア人がマスクをしている=コロナウイルスだ!!」の図式が完成してしまっているようなイメージがある。
つまり1つ目の悩みである差別問題と2つ目の悩みである他者への感染問題が二律背反問題として新たに僕の背中にのしかかってきていたのだ。


僕は自分で言うのもなんだがかなり正直な性格だと思う。
就職活動の面接で「御社は第2希望です」なんて真っ正直に話す就活生を僕以外にこれまで見たことがない。
僕の人生において「フェアであること」はいつとも知れないうちにすごく重たい部分を占めるようになっていた。
現状、カナダについてからのマスクの着用をどうするか僕の中で答えは出ていない。
語学学習はそのままコミュニケーションに繋がる。
語学学習の場において自らをコミュニケーションのアウェイに据えることはものすごく不利なことのように思う。
僕がカナダに着いたとき、カナダでマスクの着用が少しでも一般的なものになっていることを願うばかりである。

 

疎かになる英語学習

最初に述べたように僕には「嫌なことを先延ばしにする」悪癖がある。
これらの悩みに苛まれるうちに僕の英語学習は段々とおろそかになっていた。
留学の2週間前には文法書で自習をしたり英会話教室に通ったりすることはおろか、Netflixで英語字幕や字幕なしで海外ドラマをみたり、外国人の友人と英語で話しながらゲームをすることすら億劫になっていた。
昼前に起床してニュースを見て、日本政府の対応に文句を言い、感染の広がり方に不安を募らせる毎日が続いた。
挙句の果てに歯医者で複数の虫歯が見つかり、渡航前に直しきるために毎日歯医者に通う羽目になったりした。
そんななかで救いになったのが・・・と普通なら続くはずだが生憎とそんなものは存在しなかった。
グダグダと日々を過ごしたまま渡航当日を迎えている。
強いて言うならば渡航の週になって深夜2時3時だった就寝時間を1,2時間早めるようにしたのは効果的だったと思う。
不安で眠る気がせず、グダグダと1人でゲームをしたりyoutubeを観たりしていたが、朝起きたときの気分は最悪だった。
早寝早起きは精神バランスにいい影響を及ぼす気がする。
それから渡航1週間前にホストファミリーが決定したのも精神的に楽になった。
ホストファミリーの家に子供がいたのもよかったかもしれない。
どういう形であれ自分を迎え入れてくれる人がいることと、僕が子供好きであることから少し前向きな気持ちになれた。
心のどこかで「ホストファミリーが決まりませんでした」となって留学延期の言い訳ができることを望んでいた僕もいたのだけれど。

 

出発までの日々。起こる事件。

留学が決まってからは極力外出は控えるようにした。
一度、大学の後輩の結婚式に出かけるときにはお祝いの気持ちと共に戦々恐々としたが、その後のウイルス潜伏期間である2週間は何事もなくすぎて胸をなでおろした。
英会話教室に出向かなかったのも、感染を防ぐためというのは理由としてあった。
英会話教室を含め、外出を控えた理由には鬱々とした気持ちの中、外に出る気にならなかったというのが大きな部分を占めるのだけれど。
そんな調子だったから僕の中で留学が段々と現実味を失っていった。
このことが後に事件を引き起こす。
留学を控えた前々日、エージェント会社の担当者の方から電話があった。
「黒子さんの使う航空便の欠航などは現在見られませんが、状況は日々変わっていきますのでご注意ください」
といった経過報告のような連絡だったが、この連絡を受けて僕は航空券の手配会社であるHISにパスポート番号を連絡していなかったことを思い出した。
驚くべきことに、自分を不安にさせるウイルス関連のニュースは毎日確認していた一方で本当に自分の留学にかかわる航空便についての注意を僕は全く払っていなかったのだ。
パスポート番号を登録するため、2週間ぶりにHISのマイページを開いた僕は目を丸くした。
『【重要】減便に伴う欠航・代案のご案内』
自分に対するお知らせの欄にはっきりとそう書いてある。
は? え?
焦りと疑問符で頭をいっぱいにしながらそのメッセージを開くと、自分が予約した便が減便になり代案として1便早い便を利用するか航空便の取り消しをするか選べとの趣旨のことが書いてあった。
繰り返すが前々日のことである。
メッセージの送信日を確認すると送信日はさらにその前々日。
取り消しの場合は復路の便を含めて全額返金となる旨が記載してあった。
連絡当日に気づいていれば!!!
僕の頭をまずよぎったのがこれである。
どんだけ延期したかったんだよと我ながら思う。
つまるところそれが僕の本音だったのだろう。
実際のところ僕がそのメッセージの送信当日に気づいていたところで本当に延期したかはわからない。
現実として気が付いたのは送信当日から2日後でさらにその2日後には留学に出発するのだ。
しかも気づいたのは夕方である。
もはや後に引き返す選択肢は残っていなかった。
僕にできるのはさっき電話をくれた留学担当者さんに便が変更になったことを折り返し連絡することだけだった。

 

はじめまして。コロナウイルス感染国から来ました。

――黒子と申します

ブログを始めるにあたってまずは簡単な自己紹介からにしようと思う。
僕は昨年、夏の終わりに会社を辞めた。
理由はいろいろあるものの、突き詰めれば「このままで一生を終えたくない」という若気の至りとでもいうべきものだった。
「若気」とはいうものの東京オリンピックの開催される(今となっては開催の現実味が薄れつつあるものの)今年、僕は28歳になる。
誰が決めたわけでもないはずの30歳という一つの節目を目前にした僕に焦りがないといえば嘘だった。

辞めた後の時間を浪費することはできない。


ひとまず僕は今のうちに日本以外の世界を知ろうと決めた。
そうとなればまず目指すべきは意識の高い若者ならだれしもが憧れるであろうワーキングホリデーだと思った。
とはいえ大学は法学科、前職では製造業の社内SEをやっていた僕だ。

海外で生活できるだけの英語力は無論、備わっていない。
けれど英語力を与えなかった前職は替わりにある程度の貯金を残してくれていた。
そんなわけで僕は会社を辞めた1か月後にはカナダへの留学を決め、留学エージェントに契約金を支払っていたのである。
この時点で僕が出発する時期に世界がコロナウイルスで大騒ぎになっているだなんて僕にはもちろん、誰にだってわからなかったはずなのだ。

 

――進む留学準備

僕がエージェントと留学の契約を結んだのが昨年の10月末。
当初フィリピンに行くつもりだったが「英語圏で暮らすことで実践的な英語が身につく」とのエージェントの勧めと英語圏ではホームステイや私生活の中で海外の文化に触れられるという甘言、一方のフィリピンでは合宿所に缶詰めで勉強という独自の調査結果から英語圏の中では比較的費用の安いカナダへの留学を決めた。
「日本以外の世界を知る」というのが僕のモチベーションだったから、異国の文化に触れられるホームステイはとても魅力的に思えた。
・・・本音を言えば「北九州予備校のような(あくまで伝え聞いたものであって僕個人の恣意的な意図はこの表現に含まれていない)」勉強漬けを強いられるフィリピン留学に不安を感じたのもある。
期間は3か月。
いろんな人種と文化が織り交ざっていること、国を代表する大都市であることを理由に場所はトロントに決定した。

大都市の生活を見れば、その国で働く人たちの一般的なワークスタイルがわかる気がした。
フィリピンからカナダに変えることで余計にかかる費用は受け取る予定のなかった雇用保険で補填することにした。(雇用保険は就職の意欲のある人への保険であるため実際にはあまり褒められた行為ではない)
そのために出発時期も当初の1月から3月に変更。
これによって僕は約2か月間、日々広がるコロナウイルスのニュースに毎日悶々とすることになる。
12月には台湾経由での航空券も確保して、留学エージェントの開く無料の英会話教室Netflix、おじいちゃんおばあちゃんに混じって平日の英会話サークルに参加するなど自分なりに英語の勉強をして過ごした。
年末に親戚一同にカナダでの生活について話していた頃が懐かしく思い出される。

 

――忍び寄る魔の手

新型コロナウイルスなるものの存在が報じられ始めたのは1月の中旬頃だったろうか。
当時の僕は中国武漢で広がる肺炎を海の向こうのことと対して気にも留めていなかった。
多分、あの頃はまだ英語の勉強にも身が入っていたことと思う。
事態が急転したのは2月になり、大型クルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』がニュースに取り上げ始められるようになってからだった。
同時に爆発的に増えていく武漢での感染者。
段々と僕の中に不安が芽生え始めた。
このころの僕は「経由国の台湾でウイルスが広まって、日本からの渡航禁止やカナダからの受け入れ制限がかかったらどうしよう」と心配していた。
中国とは朝鮮半島を挟み、さらには海を隔てたこの日本に感染症が広がっていくことなど想像もしていなかったのである。
(お恥ずかしい話、このころの僕は台湾が中国と陸続きかと思っていた。人間、ただ年を重ねても知らないことは知らないままである)
実はこのときすでに台湾では中国からの感染者の流入対策だけでなく、経済対策やマスク不足対策が実施され、学校の休校が決定していた。

日本に比べて圧倒的に素早く、迅速な対応が南の島国ではすでにとられていたのだ。
「日本以外の世界を知る」などと偉そうに掲げておきながらすでに他国の能力を過小評価しているこの皮肉。
今となっては笑うに笑えません。


同時にこの頃、奈良県でバス運転手の新型コロナ感染がニュースに上りクルーズ船外での国内市中感染が現実味を帯びてきた。

2月末から3月初頭にかけて事態はさらに悪化する。
『ダイヤモンド・プリンセス号』への日本政府の対応に批判が集まり、さらにはWHOのテドロス事務局長が「イタリア、イラン、韓国、日本が最大の懸念だ」と発表したのだ。(この後、日本からの抗議を受けてテドロス事務局長は懸念国から日本を除外した)
さあ、このあたりから僕の胃がキリキリと音を立て始める。
留学を保留した場合の追加費用について算盤をはじきだしたのもこの頃だ。
HISでの取り消し費用を確認すると往復分の取り消しでなんとお値段5万円。
エージェント会社は保留の場合に追加費用を請求しない特別対応をかかげてくれてはいたものの、カナダの語学学校の方には別で手数料がかかるとのことだった。
5万円にさらに手数料が乗ってくるのか・・・。
会社を退職して約半年、この頃になってようやく僕は気づき始めていた。
「お金は、使うと減る」
いや、当たり前のことなのだ。
ただ僕は口座に振り込まれた社内預金とそれに加算された退職金。それら今まで見たことのない金額の大きさにそのお金が無限のものと錯覚していたのである。
この時点で僕の貯金は各種税金や保険料、退職後の小旅行などでその約2割が削られていた。
実家に帰省(寄生?)させていただいて住居費、光熱費、食費は甘えさせてはもらっていたけれど、知らぬ間に減っていた貯金の額に内心僕は恐怖していた。
さらに、留学を遅らせるということは、その分だけ次の仕事に就いて生活の基盤を築くのも遅らせることを意味する。
一度自立した身としてはあまり長い期間両親に甘えるわけにもいかない。現状はただのニートなのだ。
というよりも実はお母さんに言われたのだ。
「留学遅らせるにしたってあんたそれでどうするん」
と。
「ぬぬぬ」と僕は唸るしかなったのだ。そのとき。
たしかに事態の収束がいつになるかわからない。下手をすれば6月まで待った結果、さらに情勢が悪化していることだってあり得た。
(ちなみにこの時点では中国の収束はまだ見えておらず、むしろ日本を含めた世界中でこれから広がっていくぞ、という雰囲気だった)
延期にかかる多額の費用、先行き不透明な事態の収束。
これらを理由にやはり予定通り留学に行こう、そう決めたときから僕の苦悩の日々が始まった。