コロナウイルス感染国からこんにちは

コロナウイルス大流行中にカナダ留学を敢行する脱サラニートの葛藤と経験の物語…になる予定。

はじめまして。コロナウイルス感染国から来ました。

――黒子と申します

ブログを始めるにあたってまずは簡単な自己紹介からにしようと思う。
僕は昨年、夏の終わりに会社を辞めた。
理由はいろいろあるものの、突き詰めれば「このままで一生を終えたくない」という若気の至りとでもいうべきものだった。
「若気」とはいうものの東京オリンピックの開催される(今となっては開催の現実味が薄れつつあるものの)今年、僕は28歳になる。
誰が決めたわけでもないはずの30歳という一つの節目を目前にした僕に焦りがないといえば嘘だった。

辞めた後の時間を浪費することはできない。


ひとまず僕は今のうちに日本以外の世界を知ろうと決めた。
そうとなればまず目指すべきは意識の高い若者ならだれしもが憧れるであろうワーキングホリデーだと思った。
とはいえ大学は法学科、前職では製造業の社内SEをやっていた僕だ。

海外で生活できるだけの英語力は無論、備わっていない。
けれど英語力を与えなかった前職は替わりにある程度の貯金を残してくれていた。
そんなわけで僕は会社を辞めた1か月後にはカナダへの留学を決め、留学エージェントに契約金を支払っていたのである。
この時点で僕が出発する時期に世界がコロナウイルスで大騒ぎになっているだなんて僕にはもちろん、誰にだってわからなかったはずなのだ。

 

――進む留学準備

僕がエージェントと留学の契約を結んだのが昨年の10月末。
当初フィリピンに行くつもりだったが「英語圏で暮らすことで実践的な英語が身につく」とのエージェントの勧めと英語圏ではホームステイや私生活の中で海外の文化に触れられるという甘言、一方のフィリピンでは合宿所に缶詰めで勉強という独自の調査結果から英語圏の中では比較的費用の安いカナダへの留学を決めた。
「日本以外の世界を知る」というのが僕のモチベーションだったから、異国の文化に触れられるホームステイはとても魅力的に思えた。
・・・本音を言えば「北九州予備校のような(あくまで伝え聞いたものであって僕個人の恣意的な意図はこの表現に含まれていない)」勉強漬けを強いられるフィリピン留学に不安を感じたのもある。
期間は3か月。
いろんな人種と文化が織り交ざっていること、国を代表する大都市であることを理由に場所はトロントに決定した。

大都市の生活を見れば、その国で働く人たちの一般的なワークスタイルがわかる気がした。
フィリピンからカナダに変えることで余計にかかる費用は受け取る予定のなかった雇用保険で補填することにした。(雇用保険は就職の意欲のある人への保険であるため実際にはあまり褒められた行為ではない)
そのために出発時期も当初の1月から3月に変更。
これによって僕は約2か月間、日々広がるコロナウイルスのニュースに毎日悶々とすることになる。
12月には台湾経由での航空券も確保して、留学エージェントの開く無料の英会話教室Netflix、おじいちゃんおばあちゃんに混じって平日の英会話サークルに参加するなど自分なりに英語の勉強をして過ごした。
年末に親戚一同にカナダでの生活について話していた頃が懐かしく思い出される。

 

――忍び寄る魔の手

新型コロナウイルスなるものの存在が報じられ始めたのは1月の中旬頃だったろうか。
当時の僕は中国武漢で広がる肺炎を海の向こうのことと対して気にも留めていなかった。
多分、あの頃はまだ英語の勉強にも身が入っていたことと思う。
事態が急転したのは2月になり、大型クルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』がニュースに取り上げ始められるようになってからだった。
同時に爆発的に増えていく武漢での感染者。
段々と僕の中に不安が芽生え始めた。
このころの僕は「経由国の台湾でウイルスが広まって、日本からの渡航禁止やカナダからの受け入れ制限がかかったらどうしよう」と心配していた。
中国とは朝鮮半島を挟み、さらには海を隔てたこの日本に感染症が広がっていくことなど想像もしていなかったのである。
(お恥ずかしい話、このころの僕は台湾が中国と陸続きかと思っていた。人間、ただ年を重ねても知らないことは知らないままである)
実はこのときすでに台湾では中国からの感染者の流入対策だけでなく、経済対策やマスク不足対策が実施され、学校の休校が決定していた。

日本に比べて圧倒的に素早く、迅速な対応が南の島国ではすでにとられていたのだ。
「日本以外の世界を知る」などと偉そうに掲げておきながらすでに他国の能力を過小評価しているこの皮肉。
今となっては笑うに笑えません。


同時にこの頃、奈良県でバス運転手の新型コロナ感染がニュースに上りクルーズ船外での国内市中感染が現実味を帯びてきた。

2月末から3月初頭にかけて事態はさらに悪化する。
『ダイヤモンド・プリンセス号』への日本政府の対応に批判が集まり、さらにはWHOのテドロス事務局長が「イタリア、イラン、韓国、日本が最大の懸念だ」と発表したのだ。(この後、日本からの抗議を受けてテドロス事務局長は懸念国から日本を除外した)
さあ、このあたりから僕の胃がキリキリと音を立て始める。
留学を保留した場合の追加費用について算盤をはじきだしたのもこの頃だ。
HISでの取り消し費用を確認すると往復分の取り消しでなんとお値段5万円。
エージェント会社は保留の場合に追加費用を請求しない特別対応をかかげてくれてはいたものの、カナダの語学学校の方には別で手数料がかかるとのことだった。
5万円にさらに手数料が乗ってくるのか・・・。
会社を退職して約半年、この頃になってようやく僕は気づき始めていた。
「お金は、使うと減る」
いや、当たり前のことなのだ。
ただ僕は口座に振り込まれた社内預金とそれに加算された退職金。それら今まで見たことのない金額の大きさにそのお金が無限のものと錯覚していたのである。
この時点で僕の貯金は各種税金や保険料、退職後の小旅行などでその約2割が削られていた。
実家に帰省(寄生?)させていただいて住居費、光熱費、食費は甘えさせてはもらっていたけれど、知らぬ間に減っていた貯金の額に内心僕は恐怖していた。
さらに、留学を遅らせるということは、その分だけ次の仕事に就いて生活の基盤を築くのも遅らせることを意味する。
一度自立した身としてはあまり長い期間両親に甘えるわけにもいかない。現状はただのニートなのだ。
というよりも実はお母さんに言われたのだ。
「留学遅らせるにしたってあんたそれでどうするん」
と。
「ぬぬぬ」と僕は唸るしかなったのだ。そのとき。
たしかに事態の収束がいつになるかわからない。下手をすれば6月まで待った結果、さらに情勢が悪化していることだってあり得た。
(ちなみにこの時点では中国の収束はまだ見えておらず、むしろ日本を含めた世界中でこれから広がっていくぞ、という雰囲気だった)
延期にかかる多額の費用、先行き不透明な事態の収束。
これらを理由にやはり予定通り留学に行こう、そう決めたときから僕の苦悩の日々が始まった。